2018年09月28日

警報発令のため1900以降は休講といたします。

警報発令のため1900以降は休講といたします。  


Posted by チャンプ進学塾 at 18:43Comments(0)

2018年04月15日

三足歩行の塾長です。

左脚が、先天性股関節脱臼で
右膝が自転車走行中に転倒して
強打。

杖なしなら
よちよちと20歩しか
歩けない。

一度、タクシーに乗った時
運転手さんに言われた。

「歩行困難なら
 障がい者手帳を持てば
 1割引になりますよ。」

歩行困難なのに
自転車には乗れるから、
不思議なのです。

歩くということは
膝腰を活用する
全身運動である、
ということの証明ですね。

とりあえず、
仕事も家事も介護なしで
生きて行けるので
障がい者手帳を持つのは
引退してからにしよう。



チャンプ進学塾•豊見城校の
ブログはこちらです。

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http://champ.ti-da.net/



  


Posted by チャンプ進学塾 at 11:25Comments(0)つぶやき沖縄

2017年06月28日

チャンプ進学塾の塾長です!!

こんにちは!!
チャンプ進学塾
塾長の奥野です。

『チームチャンとみ』6月•7月号に
あやまって休眠中のブログのQRコードを
掲載してしまいました。
ここにお詫びして訂正いたします。

チャンプ進学塾•豊見城校の
ブログはこちらです。

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Posted by チャンプ進学塾 at 13:59Comments(0)教育

2015年04月07日

神韻

父は奈良県生駒市の商店街で
小さな文具商を営んでいた。

商店街の定休日は8のつく日で
月に3日しか休めなかった。

だから、京都の国立美術館で
大きな美術展が開催されると、
平日でも学校を休ませて
娘たちを京都に連れ出した。

「君たちが今日一日学校を休んでも
人生はあんまり変わらない。
しかし、これから観に行く芸術作品は
君たちの人生を変えるかもしれない」と言って。

大阪の下町生まれの父だったが、
大事な話をするときは
なぜかいつも標準語になった。

生きているうちに
必ず鑑賞したい芸術。
敢えて「芸術」と言いたい。

私にもし娘がいたなら
きっと観に行かせるだろう。

神韻。

  


Posted by チャンプ進学塾 at 12:02Comments(0)教育つぶやき21世紀の神々

2013年08月19日

PerfumeからEXOにたどり着くまで。

実に30ヶ月ぶりのブログ更新。

今日はK-POPについて少し。

今、EXOにはまっている。

半世紀以上生きて来たおばさんが、
なぜ、EXOなのか。

これは、やっぱりインターネットというか、
YOUTUBEのおかげである。

3年前の大晦日に越年で
ワンセグでテレビを見ながら
教室で仕事をしていた。

perfume の特集をしていて
「お、新しい音だな」と少し興味を持ち、
仕事の区切りをつけて、
youtubeで検索してみた。

そしたら関連動画で
KARAに出会った。

それでしばらくの間
KARAに傾倒していた。
「ルパン」とか「ジャンピン」とか。
最近では「STEP」がお気に入りですが。

そうこうしているうちに
あまり好きではなかった
東方神起が分裂して
ユノとチャンミンのデュオになって
カムバックしてきた。
Keep Your Head Down と、
Maximum を引っさげて。

この後、
関連動画で
shinee
superjunior
と徘徊したあと
EXOにたどり着いた訳だ。

K-POPは何がすごいかと言って、
もともと「国民の資質」として歌が上手。
その上に「年月」をかけて練習生を鍛えていく。
最後は、「お金」を投下し、
「世界中から」才能を輸入して、
一つの楽曲を仕上げて行く。

小手先の戦いではとても勝てません。

がんばれ、K-POP!!

負けるな、J-POP!!






  


Posted by チャンプ進学塾 at 23:18Comments(0)沖縄若者21世紀の神々

2011年01月26日

審判が下るシーズン。

1月から3月までは
毎月、何らかの合否結果が出る。

いろいろ手広く広げているが
スタッフの願いは一つ。「合格」だ。

今週もいくつかの合否結果が判明する。

この1年間、
いや、2年間、
生徒によっては3年越しの
努力の成果が出ることになる。

若い頃お世話になり
今の教材作り、教材選定、テスト運営、
カリキュラム設定、授業運営、講師配置、
すべての面で勉強させていただいたのが
Nセンター。

その塾の代表者は心に届くエッセーを書く
京大哲学科出身の知的エリートだった。

新入社員の時、「研修でテストに出るから」と
機関誌を配布され、丸暗記した。

今でも心に残っている言葉がいくつもある。

「一生懸命やらなければ、
 確実に振り落とされる。
 しかし、一生懸命やった者全員が
 栄冠を手にするわけではない。
 それが、受験だ。」

人生の成功者はいつも
「努力」と「運」が両輪だと言う。

私は、まだ、決して成功はしていないが、
少しずつその意味をわかり始めている。  
タグ :エッセー


Posted by チャンプ進学塾 at 00:26Comments(0)教育

2011年01月19日

不覚の涙

震災の翌年、縁あって沖縄に流れ着いた。
もう、15年がすぎようとしている。

この間(かん)、本当にいろんな方のお世話になった。
そしていろんな「沖縄」に勇気づけられた。
心を洗われた、という方が的確な表現かもしれない。

ここにきて「不覚の涙」というのものを
三度経験した。

一度目はこの「ミルクムナリ」。
何かのエイサー大会で優勝した翌年の「園田青年会」の演舞だった。

いかん。太鼓ごときで泣いてはいかん。
と言い聞かせてもはらはらと涙がこぼれてきた。
日本は、沖縄に負けている、と思った。



それからしばらくして
とあるサイコセラピストが主催する
いやしセミナーに参加した。
私は「自分教」なので、
そのタイトル名から
なんだか、うさんくさいセミナーだな、と
気が進まぬまま、上司が勧めるまま仕方がなく参加した。

たいくつで説教くさくて上から物言いなその先生の講話に
少々嫌気がさして「トイレに行くふりして帰っちゃおうか」と
席を立とうとした時、この曲が流れてきた。
日本は、沖縄に負けている、と思った。


さらに時が経ち、
両親と妹が沖縄に遊びにきた。
知り合いの車で若者たちの組舞をはるばる勝連城まで
観劇に出かけた。この時は、
幕開けと同時にやられた。


最後にうちの講師(西平)がやってます。
興味のある方はどうぞ!






今年度のその他の入試実績はこちら。
今年度の検定実績はこちら。

  


Posted by チャンプ進学塾 at 01:35Comments(0)沖縄

2010年12月30日

なかなか更新できない。

今年のお正月に
せめて週に1回は
更新しようと、
決心したけど、
全くできなかった(涙。

もう少し現実的な
目標を立てよう(汗。

来年は
月一回更新を
目標にしよう(笑。


  
タグ :つぶやき


Posted by チャンプ進学塾 at 09:14Comments(0)つぶやき

2010年01月01日

謹賀新年

謹賀新年。

あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

しばらくエッセーをお休みしていましたが、
チャンプ進学塾を前任者から引き継いでから
三年目の春を向かえ、
「私自身」が手がけてからの合格実績、検定実績も
一応、体裁が整ってまいりました。

今年はせめて1週間ごとに
更新はできるように
努力したいと思います。

読者登録をしていただくと、
更新時にメールでお知らせが来るようですので
もしよろしければ、ご登録ください。

では、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

PS:
ブログタイトルを「あっこの教育エッセーなど」に
変えたいと思います。
あっこの方が親しみやすいような気がするし、
(「きっこのブログ」に追随です(笑))
エッセーは「教育」というお堅いカテゴリーを
逸脱する可能性があるからです。



資料をご希望の方は下記まで。
champ@m8.dion.ne.jp
098-856-5939

(はいろー・合格サンキュー)


●【チャンプ進学塾】2008コース案内
●小学生のための『4時からの学校』
●チャンプ進学塾に通う生徒さん

奥野晶子の『教育えっせー』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■優劣つけがたいはずなのに(1998年5月19日)
■「不便」という名の最高のプレゼント(1998年7月7日)
■豊かな時代に生きる子どもたち(1998年9月1日)
■親の役割、先生の役割(1998年10月12日)
■アフター5に勉強?(1998年12月15日)
■一斉授業と個別指導(1999年3月2日)
■立ちはだかる「モラルの壁」(1999年4月20日)




  
タグ :エッセー


Posted by チャンプ進学塾 at 03:45Comments(0)教育

2008年06月25日

携帯電話は「21世紀型玉手箱」

携帯電話は「21世紀型玉手箱」

言うまでもないが、
今、若者やこどもたちにとって携帯電話は
もはや「電話」ではない。

今日の携帯電話がカバーする役割は

1 メール送受信
2 ゲーム機(ダウンロード、保存、再生)
3 カメラ(しかも静止画と動画両用)
4 MP3(ダウンロード、保存、再生)
5 テレビ(リアルタイムで鑑賞可能)
6 ビデオレコーダー(ダウンロード、保存、再生)
7 辞書(英和、和英、国語、漢和その他)

思いつくだけでざっとこれぐらい。

おっと大切な機能を忘れていた。

8 電話(爆)

パソコンとの違いは
モニターが小さいということと
キーボードがない
それぐらいではないか??

もし折りたたみ式のモニターとキーボードが市販されたら
パソコンはいらなくなるだろう。

さて、これだけ子ども達を魅了する機能満載の「21世紀型玉手箱」。
当然の結果として持っているものと持っていないものの感性の差というのが確実に出て来る。

前者は新しいものがどんどん手に入る環境にあり
後者は従来通りのペースで手に入れるしかない。

どちらがいいのか悪いのか、結論はまだ出せないが
確実に言えることがある。

携帯を持つ子どもは
持たない子どもより「マナー」の悪さが目立つということだ。

「携帯を持つ子=マナーが悪い子」というのではない。

「がまんが足らない」というのは
昨今の子ども達については概ね当てはまるが、
携帯電話という「魅力満載」の玉手箱を手にしてしまったために
「がまん」ができなくなったことが多いのだろう。

彼らはまだ、幼い。
大人のようにTPOをふまえて
行動をできるわけではない。

いや、こんにちは「大人」でさえマナーを守れる人が少なくなった。

不景気とは言え、この経済大国は「携帯電話大国」になってしまった。

売るものも、(docomo、au、softbank)
持たせるものも、(保護者)
許可しているものも、(学校、塾、飲食店)
根気よく「マナー」指導をしなければ
学力低下を招くだけでなく、
お行儀の悪い人間を大量生産してしまうことになる。



………………………………………………………………
   チャンプ進学塾/2008年夏期講習会概要
………………………………………………………………

■期間;7/22(火)〜8/31(日)
 上記期間のうち4日間〜28日間
■対象:小1〜小6/中1〜中3/高1〜高3/過卒生及び社会人
■指導科目:英、数/算、国、理、社
■設置コース:個別指導コース(全学年)、少人数制コース(中3のみ)
■受講費用:4,000円〜38,000円(コースにより異なる)
■時間割等:6/30完成予定です。資料をご希望の方は下記まで。
champ@m8.dion.ne.jp
098-856-5939
(はいろー・合格サンキュー)


●【チャンプ進学塾】2008コース案内
●小学生のための『4時からの学校』
●チャンプ進学塾に通う生徒さん

奥野晶子の『教育えっせー』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■優劣つけがたいはずなのに(1998年5月19日)
■「不便」という名の最高のプレゼント(1998年7月7日)
■豊かな時代に生きる子どもたち(1998年9月1日)
■親の役割、先生の役割(1998年10月12日)
■アフター5に勉強?(1998年12月15日)
■一斉授業と個別指導(1999年3月2日)
■立ちはだかる「モラルの壁」(1999年4月20日)
  


Posted by チャンプ進学塾 at 14:39Comments(0)教育

2008年06月25日

授業中「携帯」をいじる生徒。

授業中「携帯』をいじる生徒。

東京のある一流大学の講義風景のお話。

まず、真面目に授業を受けて板書をノートにとっているのは前三列ぐらい。
その次の三列は居眠りをしているかぼーっとしている。
そのまた次の三列は一生懸命メールを打っている。
最後列に至っては平気で通話中。

さて、翻って中学校高校はどうか。

以前勤めていた塾には某私立中学の生徒が通っていたので実態を聞いてみた。
「没収された子が何人かいる」そうだ。
学校の対応は健全だと思う。

さて、公立中に目を向けると……………………。
「携帯いじっている子がいるし
 音楽ならしている子もいる」らしい。

「先生は注意しないの?」
「親が怖いから注意しないんだって」

周りのみんなはどうしてるの?
「あ、その曲知ってる〜とか適当に合わせてる。」

そりゃ先生が親を怖がっていたら、
生徒だって適当に調子を合わせるしかないよね。

でも、なぜ、先生方は「携帯」を注意するときに
「親」を怖がるのだろうか?

「モンスターペアレント」を怖がっているとか?
 でも、モンスターペアレントは
 生徒のしつけを怠っているから
 クレームをつけるのではないか。

チャンプ進学塾では
学習スペースでは言うまでもなく全面禁止。

子どもがよく使う弁解に
「お母さんからメールが来るから」というのがあるが
「あなたのお母さんは、
 授業中にメールチェックしてほしいとは思っていない」
 ときっぱり。

が、しかし、時代への呼応も必要なので(迎合ではない!!!)
カーテンをしきり「場所と時間」を決めて使わせている。

一人一人話せば、子供たちは案外素直だ。
生徒達同志も注意をし合ってくれる

もちろん、何度注意しても「直せない」子もいるが(笑)

………………………………………………………………
   チャンプ進学塾/2008年夏期講習会概要
………………………………………………………………

■期間;7/22(火)〜8/31(日)
 上記期間のうち4日間〜28日間
■対象:小1〜小6/中1〜中3/高1〜高3/過卒生及び社会人
■指導科目:英、数/算、国、理、社
■設置コース:個別指導コース(全学年)、少人数制コース(中3のみ)
■受講費用:4,000円〜38,000円(コースにより異なる)
■時間割等:6/30完成予定です。資料をご希望の方は下記まで。
champ@m8.dion.ne.jp
098-856-5939
(はいろー・合格サンキュー)


●【チャンプ進学塾】2008コース案内
●小学生のための『4時からの学校』
●チャンプ進学塾に通う生徒さん

奥野晶子の『教育えっせー』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■優劣つけがたいはずなのに(1998年5月19日)
■「不便」という名の最高のプレゼント(1998年7月7日)
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■親の役割、先生の役割(1998年10月12日)
■アフター5に勉強?(1998年12月15日)
■一斉授業と個別指導(1999年3月2日)
■立ちはだかる「モラルの壁」(1999年4月20日)




  


Posted by チャンプ進学塾 at 14:33Comments(0)教育

2008年06月07日

ゆっくり丁寧なんてウソ

四谷大塚から日曜日実施の『全国統一小学生テスト』の資材が届いた。

ご父母向け配布物の一つに
2008年4/5号の『週間ダイヤモンド』の抜き刷りが入っていた。

特集のタイトルは『学力大不安』。
表1・表4を含めて合計48ページのボリューム。

どのページもデータに裏打ちされた科学的な記事だと思われ。

『学校だけに頼らない「家庭力」の高め方』という記事を発見。
陰山英男氏(陰山メソッドの権威で現立命館小学校副校長)による
書き下ろしのようだ。

………………………………………
  ゆっくり丁寧なんてウソ
  前倒し・詰め込みでいけ
………………………………………


とある。

激しく賛成である。

「本物のゆとり」なんていうものは
たらたら「ゆとり教育」なんてやっていたら手に入らない。

だって、ゆっくりしていたら、片付くものも片付かない。
先読みができないからいつも「あたふた」しなくてはならない。

強さと速さと正確さがあるから
人生の様々な課題を「短時間」で解決することができる。

そこに「ゆとり」が生まれるのだ。

実は「中学受験」推進論者です。私は。

別に私立に行かなくてもいい。

小学校の時に培うべき力をできるだけたくさん手に入れるための
手段として私立受験をするのも一つの方法だと思う。

小学生時代に中学受験をめざして『脳みその筋肉』を鍛えた子どもは
そうでない生徒とは比較にならないほど「学習能力」が高い。

ほかの子が1時間かかってやっと終了できるプリントを
たったの10分でしかもミスなく終えることができる。

そんな実例を何十人と見て来たので、
全く迷いがない。

この豊見城でこの考え方をどれだけ浸透させていくことができるだろうか。

これからのうちの塾の大きな命題だ。









  


Posted by チャンプ進学塾 at 02:20Comments(0)教育

2008年06月05日

シリーズ『教育エッセー』

沖縄に来て13年になります。
アイ・ラーニンググループで(トリプル・アイ、エッグズ、代ゼミサテラインの )教室運営に12年間携わった後に、
2007年の4月、豊見城市上田にあるチャンプ進学塾を友人から引き継いで現在にいたります。

豊見城市地区では私自身の名前よりも
チャンプ進学塾という塾名や前塾長名の方が値域に馴染んでいて
まだまだ私の考えや「新指導システム」が浸透していません。

このブログでは、
私自身が「塾」という「民間教育機関」に長年携わって来た中で
きづいたこと、感じたこと、直面している課題などを
赤裸々に書き綴って行くことにより
新しいチャンプ進学塾の実像をつかみ取っていただければと
勝手に希望を抱いています。

まずは、10年前にアイラーニングの加納代表ならびに沖縄タイムス社会部(当時)の崎山女史のお取り計らいにより、『沖縄タイムス』本紙に掲載されたリレーエッセーをご紹介したいと思います。
十年一昔とはよく言ったものです。このエッセーの中に出てくるモチーフにも既に「過去のもの」となったものも多くあります。(例えば、プレステ2とかポケベルなど)
あしからずご了承下さいますようお願いいたします。

■優劣つけがたいはずなのに(1998年5月19日)
■「不便」という名の最高のプレゼント(1998年7月7日)
■豊かな時代に生きる子どもたち(1998年9月1日)
■親の役割、先生の役割(1998年10月12日)
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■立ちはだかる「モラルの壁」(1999年4月20日)

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2008年06月04日

立ちはだかる「モラルの壁」

●『沖縄タイムス』教育14面/1999年4月20日(火曜日・朝刊)

立ちはだかる「モラルの壁」
・・・子どもの心理解する姿勢を・・・


 発行部数が四百万部とも五百万部ともいわれている『少年ジャンプ』の編集方針は「冒険・勝利・友情」だそうです。
 今やクラシックとなりつつある手塚治虫や白土三平などの作品も、発売当日、予約客の行列ができたゲームソフト『ファイナル・ファンタジー8』も、ほとんどこの三つのコンセプトに終始しているようです。
 これまで、日本中のかなりの数の少年少女が、親の目を盗むように『ジャンプ』をむさぼり読み、プレステのギアを握り締めては、彼らの「夢」を育てていったのではないでしょうか。
 さて、少年少女が「自分自身の夢の萌(ほう)芽」を育てようとすると、必ず、周囲の大人、例えば学校や塾の先生や親たちの持つ「モラルの壁」に立ち向かわなくてはならない時が訪れます。
 一方、いろんな失敗と苦労を重ねてきた人生の先輩たちは「時代が違うよ」という切り返しと闘いながら、目前の新しい感性たちと対じしなくてはならない時が来るのです。
 テレビゲームはその「モラルの壁」が立ちはだかりやすいものの一つと言えるでしょう。しかし、今日のベストセラーになる商品というのは、少年少女の背後に存在する親御さんの厳しい審査に合格することが一つの条件になっています。だから、作る側が結構そこのあたりに気を使っていて、前述のソフトの主人公であるスコールとリノアのランデブーは物足りないぐらいに「プラトニック」だし、登場する大人たちも、スコールたちにしばしば結構な訓話を展開します。
 時には「血を流さずに平和が守れるのか」などという問答も出てきます。また、グラフィックも、バック・ミュージックも、シナリオも、十分に鑑賞に値するものと私自身は評価しています。
 確かに、テレビゲームは「時間消費型レジャー」と言われ、われわれから膨大な時間を奪う魔物ではあります。しかし、子どもにとって有害といえば、その「時間を奪う」という点と「視力を奪う」という二点だけではないか、と最近は思います。
 「その二点が大問題だ」とおしかりを受けそうですが、であれば、「宿題を終えてから」とか「一日一時間限り」などの「ルール作り」をすればいいわけです。もちろん、本にも良書と悪書があるように、ゲームソフトにも選択の目が必要ではありますが。
 私たち大人は、子どもの食わず嫌いをしかる前に、まず、自らが食わず嫌いをやめるべきでしょう。子どもたちが夢中になるのは、その対象に相応の魅力があるか、そうでなければ「そこに気持ちを置くしかなかった理由」があるかのどちらかでしょう。
 そこをちゃんと押さえることが、彼らと会話をする土俵にのる第一歩ではないかと思うのです。
 土俵にのるということは、権威を喪失してしまった大人が、子どもに「迎合」するということではありません。子どもの価値観や行動の訳を理解してあげるということです。コミュニケーションのスタートは、相手を理解しようとする姿勢を持つことだと思います。
 その上で、子どもたちの生命に危険を及ぼす可能性があることについては、今度は「時代が違う」とか「ださい」とかいう「子どもたちの脅迫」にひるむことなく、「正しいこと」を体を張ってでも説いていかなくてはならないと思うのです。

※もともと、4人チームのリレーエッセーの企画で一人6回で終了予定だったのですが、「次のシリーズの開始までに、少しブランクができたので、あと一回書きませんか」とおまけの機会をいただきました。
 私は、いつか、DSの英語ソフトを開発してみたいと夢見ています(笑)。


ほかの『教育えっせー』をご覧になる場合はこちら↓
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2008年06月04日

一斉授業と個別指導

●『沖縄タイムス』教育16面/1999年3月2日(火曜日・朝刊)

一斉授業と個別指導
・・・目的、適性で使い分けを・・・


 今、全国で「個別指導」がブームだ。一斉授業で「がんがん」入試実績を上げている進学塾も、去年の春ぐらいから続々と個別指導部門を新設し始めた。
 しかし、一斉授業で「がんがん」とやってきた現場の指導陣たちは、異口同音に「個別でマイペースでやってたって成績は伸びないよ」と主張する。
 二年前に、お世話になっている塾の代表者から「奥野はん、個別指導をやりたいんだが、どう思うか」と聞かれた時「個別ですか。どうですかね。私は、どうもあのブース(仕切り)がブロイラーを思い起こさせるので、あまり好きではありませんね。やっぱり、子どもたちには、元気で活気のある教室で力量のある先生に引っ張られながら、生徒同士の相互刺激の中で成績を伸ばしていってほしいと思うんです。その方が健全だと思います」と答えた。
 その後、代表に勧められて、京都のG塾を見学することになったが、それ以前に訪問したいくつかの個別指導の塾が持つ「暗い」「活気が無い」「講師の引っ張りが弱い」という共通のイメージをくつがえされた。
 授業中だが、二十人の講師と四十人の生徒の声がわいわい、がやがやしている。活気があるのだ。しかも、ブースの計算されたほどよい高さが「個別空間をくずさず、閉鎖感もない」という学習環境を形成していた。
 各ブースでは、質問する生徒、一生懸命問題を解く生徒、解説する講師、生徒の解答をチェックする講師などさまざま…まさに、個別指導空間だ。
 しかし、一つ疑問がわいたので、私は代表者に質問した。
 「活気があって、とても好感が持てるのですが、あれだけ先生が大きな声で講義していたら、隣のブースの邪魔になりませんか」
 代表者は、待ってましたとばかり答えてくれた。「よく、見てください。生徒は自分の先生の声しか聞いていませんよ。そのほかの先生の声はBGMみたいなもので、妨害にはならないのです。しかし、もし、この大きな声が雑談になると別です。人の雑談は、どういうわけだか気になったり、気にさわったりするのです」
 昨年の四月から個別指導の教室という「臨床」を持ち、本当に私自身がさまざまなことを勉強させていただいた。そして、そのおかげで個別指導塾の存在意義も確信することができた。
 個別では、一斉授業ではついていけない生徒さんだけでなく、「能力の可能性の芽を育てきれずにいた優秀生」も、目を見張る成長を遂げてくれる。
 今、ご父母の方から「個別指導がいいか、一斉授業がいいか」という相談を持ち掛けられると、迷いなくこう答えている。
 「どちらがいいと一言で言えるものではありません。それは入院中の患者さんに似ています。同じ患者さんでも、集中治療室で完全看護をしなくてはならないときもあれば、大部屋で治療して治るときもあります。結局は、各々の生徒さんの「学習目標、適性、時期によって使い分ければいいのです。大切なことはその使い分けを間違わないことです」。

※当時、ご父母から「普通の塾がいいか、個別指導がいいか」という問合せが増えてきていたので、どこかで、自分の意見をまとめる機会がほしかったのですが、エッセーの紙面を拝借してしまいました。タイムス社会部の崎村女史から「あのぉ、これは少し広告色が濃厚なので書き直してもらえませんか」という電話がかかってこないかしらんと、いつものようにひやひやしていたのですが、「ひとつの社会現象だから、いいんじゃないですか」とすんなりパスしました。

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■豊かな時代に生きる子どもたち(1998年9月1日)
■親の役割、先生の役割(1998年10月12日)
■アフター5に勉強?(1998年12月15日)
■一斉授業と個別指導(1999年3月2日)
■立ちはだかる「モラルの壁」(1999年4月20日)

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2008年06月04日

アフター5に勉強?

●『沖縄タイムス』教育16面/1998年12月15日(火曜日・朝刊)

アフター5に勉強?
・・・学校での学習時間大切に・・・


 大阪で学習塾に十二年間勤めた後、一九九六年一月から、縁あって沖縄の学習塾でお世話になることになった。
 沖縄に来た当初、新聞に折り込まれる塾のチラシを見て首をかしげたものだ。一般の県立高校入試を目標にした学校内容べったりの学習塾が、週に五日も六日も生徒を通塾させる。大阪では週五日コースと言えば「超難関私立中・高」の受験生を対象とする、いわゆる「受験塾」だけである。「沖縄の中学生はどうしてこんなに勉強しなくてはならないのか?」とずっと疑問だったが、最近その「なぞ」が解けた。
 彼らは学校の授業をほとんど聞いていないのである。
 私が「学校の授業を聞いていないのに、よく期末テストで百点取れるね」と言うとある生徒は「だって、テストの前の日に学校でもらったプリントを丸暗記したら、そのまま出るもん」と言う。だから授業を聞かなくてもいいんだと言う。さらに彼はこう付け加える。「学校の先生は、僕らのことを信用してくれていないから」。これが、トップランクの百点満点を取る生徒のせりふなのである。しかし、これでは高校入試を突破する力が付くはずないと気付き、結局は塾に通うことになるわけだ。
 本来、学習塾の役割は「学校内容を超えたハイレベル内容、先取り単元を指導することにより、超難関校への合格力を養う受験塾タイプ」と「学校内容についていけない学習不振児対象の補習塾」の二種類であった。しかし、沖縄では「学校の授業を聞いていない生徒のための学校準拠塾」が確実に数多く存在している。
 この四月から那覇市内にある個別指導の教室を受け持つことになり、席次一番の優秀生から「自分の後には五人しかいない」という成績不振児まで、実に多種多様の生徒さんと出会った。
 個別指導なので、授業中に生徒のカウンセリングを盛り込むことができ、ある程度の実態調査ができた。驚くべきことだが、席次上位者の中にも「学校の授業についていけない生徒」や「学校の授業を全く聞いていない生徒」が存在する。
 問題は後者の方である。生徒が「今学校で習っている」という単元を「どのくらい理解しているか」を確認しようとすると、ほとんど頭に入っていないことが多く、一から講義し直さなくてはならない。「一体学校でどんな授業を受けているのか」と聞くと、答えは本当に千差万別だ。部活生は「授業中は眠っている」。ある中二の女の子は隣の席の子としゃべってばかりなので、「いつも先生にしかられている」。前述の満点君は「先生が嫌いだから授業はさぼる。出席しても無視しておしゃべりしている」。そして、意外に多いのが「しゃべっている生徒がたくさんいても、先生は全然注意せず、黒板の前でぼそぼそ解説するだけだから、よく分からない」
 週五日の塾がはやるわけである。そして、沖縄の子どもたちの多くが本当に勉強しているのはアフター5(ファイブ)の塾での時間だけかもしれないと考えさせられる。
 子どもは机の上の勉強と、子ども同士の遊びから学ぶかけがえのない勉強との両輪で初めてバランスのとれた人格を形成するものだと思う。
 週四十時間という学校での膨大な学習時間をもっとノーマルな状態にしなければ、永久に子どもたちは「心置きなく」遊ぶことなどできない。

※毎回、エッセーが掲載される前日の夜はあまり熟睡できませんでした。
 明日の朝、出勤したら、「あんたは、一体何を根拠にこんなエッセーを書くのか」といったクレームが殺到しているのではないかとどぎまぎしていたのです。実際、この『アフターファイブに勉強?』のときは、本当に清水から飛び下りる気持ちで脱稿しました。みんながみんな学校の授業をおろそかにしているわけではないし、また、地域によっては学校運営がかなりうまくいっているところもあると聞いているからです。しかし、エッセーに盛り込んだお話も全て事実で、私が勤めている塾(トリプル・アイグループ)の教室で見聞きしたことばかりです。
 結果、学校関係者の反応もよく、沖縄市内のある中学校では、このときの記事をそのまま印刷して全生徒に配付してくれたところもありました。やれやれ。


ほかの『教育えっせー』をご覧になる場合はこちら↓
■優劣つけがたいはずなのに(1998年5月19日)
■「不便」という名の最高のプレゼント(1998年7月7日)
■豊かな時代に生きる子どもたち(1998年9月1日)
■親の役割、先生の役割(1998年10月12日)
■アフター5に勉強?(1998年12月15日)
■一斉授業と個別指導(1999年3月2日)
■立ちはだかる「モラルの壁」(1999年4月20日)

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2008年06月04日

親の役割、先生の役割

●『沖縄タイムス』教育18面/1998年10月20日(火曜日・朝刊)

親の役割、先生の役割
・・・挫折した子を見守る・・・


 だれでも「こんなはずじゃなかったのに」という「人生の挫折」を経験しなくてはならない。
 毎年高校入試の結果報告が続々と舞い込んでくる季節になると、ある一つの傾向を確認させられる。高校入試で複数の受験校すべてに合格し、しかも、軽々と余裕でハードルを飛び越えていく受験生たちが実は、三年前に涙をのんだ生徒だったということが少なくないのである。
 入試は魔物である。定員百人のトップ中学に合格するのは、直前の模擬テストの一位から百位までの者全員ではない。席次十番の者が涙をのみ、席次二百番の者が合格する場合もある。
 また、運よく合格した席次二百番だった者が入学後、勉強についていくのに苦労をしているかというと、必ずしもそうとは限らない。人間には人それぞれの「人生の時間割」があり、「成長曲線の形」がある。入学後のびのびと成績を伸ばす「合格ラインぎりぎりで入学した生徒」は、成長曲線の発展途上にあったのだろう。
 本題にもどそう。私が今回話題の中心にしたいのは「模擬テスト」で常にトップランクにいたのに、本番で涙をのんだ生徒」のことである。
 私は、ずーっと勝者であり続けた人間よりも、挫折を経験し、乗り越えてきた人間の方が好きである。なぜなら、前者は「弱者」の気持ちが永遠に分からず、本当の意味での「やさしさ」を持てないと思うからである。
 だから、私は子どもたちには、部活でも受験勉強でも、極端な話、恋愛でもいい、何でもいいから思いっきり体当たりしてほしいと思う。そして人生の現実を体験してほしいと思うのである。
 樹木の年輪は茶色の濃い部分と、白い柔らかい部分で構成されている。色の濃い部分は、冬の厳しい季節に形成された部分で、成長の幅はわずかだが、堅くて頑丈である。
 私たち大人、すなわち人生の先輩は、挫折を乗り越えていこうという彼らを温かく厳しく見守ることだと思う。決して彼らに「運の悪い子」だとか「燃えつき症候群」だとかのマイナスのレッテルを張ってはいけない。
 かく言う私も十五の春に「人生の挫折」を経験した。当確と保証された奈良の県立高校に惨敗し、四月を目前にした慌ただしい一週間で大阪のカトリック系私立の二次募集で落ち穂拾いされた。
 それまで、私たち娘のことはすべて母にまかせっきりだった父が、二次募集の受験手続きから入学式まですべてつきっきりでいてくれた。文具商を営む父にとって、この時期は一年で最も忙しい時期であり、稼ぎ時でもあった。それでも父は、自分が入試に失敗した時の話や「生きていく以上は、これから何度も挫折や失敗を経験せなあかん。その経験が全部晶子の体の中に免疫として残るんや。そうやってたくましくなっていくんやから」といった話をしてくれた。
 私は余分なお金を使わせた、忙しい時期に迷惑をかけたと、幼い胸を痛ませながらも「三年後は親孝行しよう」と決意しながら父の後をついていった。
 また、少し落ち着いてから、私が店番をしている時、小学校の時の担任がノートを買いに来てくれた。「あんたは、このままで終わる子じゃない。先生は分かっているから」といってくれた。
 この言葉は後々まで反すうさせられることになった。その先生から授業中に習ったことはほとんど覚えていないというのに。

※話は少し飛躍しますが、ある形成外科のお医者さんが教えてくれた のですが、何らかの意味で弱者の立場にある子どもが幸せになれるかどうかは、99%身近にいる大人(多くの場合は親)の接し方で決まるそうです。親が、子どもの弱点を恥じていれば、間違いなく子ども は強い劣等感を持つことになるとか。だから、そのお医者さんは、子どもの外科的な治療以上に親のカウンセリングに力を入れているんだそうです。

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2008年06月04日

豊かな時代に生きる子どもたち

●『沖縄タイムス』教育20面/1998年9月1(火曜日・朝刊)

豊かな時代に生きる子どもたち
・・・どう育てる感謝の心・・・


 不景気といわれている。金利、為替、失業率などの経済指標を指でなぞると確かに不景気らしい。しかし、街を歩いてみると、中学生はポケベルで交信しあい、高校生は携帯電話で友達と待ち合わせ場所の相談をしているし、大学生はユニットバス付きの1DKからキャンパスへ向かう。
 今の子どもたちは、私たちの子ども時代とは比較にならないくらい豊かな時代に生きていることには間違いないようだ。そして、残念なことに、彼らは「欲しいものが次から次に手に入って幸せだ」と思ってくれてはいない。なぜなら、彼らは「我慢しなければならなかった時代」を体験していないし、また彼らの比較の対象は「物がなかった時代の生活水準」でなく「彼らの友達の生活水準」だからである。
 また、彼らは欲しい物を親に買わせるコツをよく知っている。例えば、親に「クラスの人が皆持っているから、一緒に遊べない。ポケベル持たせて」とせがむ。よくよく調べてみると、ポケベルを持っているのはクラスの中でもまだ少数派だったりするのだ。
 しかし、多くの親御さんは、そこまで実態調査をせずに「うちの子が仲間外れになってはかわいそうだ」ということで、ポケベルの契約をしてしまう。結果としてクラスの大半がポケベルを持つことになり、子どもたちの「うそ」を実体が追い駆けることになってしまうのである。
 井上昌俊氏も、二十万部のベストセラーになった書『人は 人によりて 人になる』(プレジデント社)の中で「現代の親は、物質的な苦労はあまりしないで済むようになったが、その分、コミュニケーションの方法や手段は複雑で高次元なものを要求される時代に生きているのだと思う」と述べている。
 たしかに、子どもたちの心の中に感謝の気持ちをはぐくんでいくには困難な時代ではあるが、それでもいくつかの実践的な方法があるように思う。
 一つは、前回(七月七日掲載)でも述べさせていただいたが、意図的に、今子どもたちに与えられている「豊かさ」を奪い去った非日常体験をさせることでいささかの荒治療をする方法。
 二つ目は、今当たり前に手にしているものが、「何を代償にして」目の前に存在しているのかということを、その都度きちんと説明すること。
 三つ目は、新たなものを与えるときには必ず、何らかの目標を達成することと引き換えにすることである。
 人間は、待ち望んで待ち望んで、やっと手に入ったものは大切にするものである。それが、自分自身の大きな努力と周りの人々の多大なる協力との引き換えに苦労して手に入れたものであれば、なおさらである。そしてこの時に初めて、「ありがたい」という感謝の気持ちが生まれるのだ。
 少し、大げさな言い方ではあるが、この「ありがたい」という気持ちこそが、「自分は一人で生きているのではなく、周りの人々やご先祖さま、そして大自然の恵みのおかげにより生かされているのだ」という概念への出発点ではないかと思う。


※前回のエッセーで、「我慢」について、書ききれなかったので、言わば「我慢・続編」です。『新たなものを与えるときには必ず、何らかの目標を 達成することと引き換えにすることである。』 という下りの後に、「そして、時には、目標を達成したら、いつもご褒美をもらえるわけではない。」という『あきらめの体験』の重要性にも、触れたかったのですが、私の未熟さから、うまく挿入できませんでした。

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2008年06月04日

「不便」という名の最高のプレゼント

●『沖縄タイムス』教育16面/1998年7月7日((火曜日・朝刊)

「不便」という最高のプレゼント
・・・自然の中で子どもが成長・・・


 二年前の夏に「無人島合宿(二泊三日・慶良間諸島安室島)の密着取材をしたことがありますが、驚かされたのは、たった三日間での子どもたちの成長ぶりです。
 無人島に着いたばかりの子どもたちは、自然と触れ合う喜びよりも、快適な日常から懸け離れた環境への「不安」ばかりが体中に広がります。
 引率のスタッフたちの動きを遠くからぼう然と眺めている子。指示されてもなかなか動こうとしない子。スタッフの後をついて回るしかできない子。こんな子どもたちが大半でした。
 すぐに日が暮れ、おなかがすいてきます。何人かは、自分たちが「乾いた木の小枝」をたくさん拾ってこない限り、夕飯を食べることは永久にできないということに気づき始めます。そして、少しだけ、子どもたちの動きが良くなってきます。しっかりした中学生は、自分たちよりも少しだけ幼い少年たちに「指示」し始めます。
 「これは湿っているから、もっと乾いた小枝を拾って来て」「水道がないから、コップに残ったお水は捨てちゃ駄目。後で全部飲んでしまうんだよ」「タマネギの皮はこの穴に埋めて」
 夜九時すぎ。カンテラとキャンプファイヤーの明かりに照らされて少し遅めの夕飯にやっとありつけます。お母さんのカレーライスには全然及ばないけれど、おいしい顔であっと言う間に二皿ぐらい平らげてしまいます。
 二日目の朝になると、子どもたちの役割分担も整い、いよいよ活発になります。「枯れた小枝」は、一週間キャンプできそうなぐらいストックができています。
 二度目の夕飯はバーベキュー。ジャガイモをむく手つきも驚くほど器用になっています。後片付けも、どんどん手際よくなってきます。素晴らしいことに、大切な「水」の節約も全員が徹底して守るようになるのです。
 三日目。ついに無人島を後にする時には、子どもたち全員がおのおのの役割をきちんと果たすことはもちろん、忙しい人の手伝いを自発的にしたり、素晴らしいチームワークを発揮するまでになります。
 私は「自然という不便さ」が子どもたちに与えるものの偉大さをあらためて認識せざるを得ませんでした。
 一人ひとりが役割を果たさない限り「夕飯」は永久に口にすることができない。このことを体験できた子どもたちが成長しないはずはないのです。
 子どもたちは気づいてくれました。普段、自分たちが「当たり前」と思っていた三度三度の食事や、空調の効いた快適な生活空間。それらは、すべて、自分以外のだれかがそこに運んできたからこそ、手にすることができることに。
 また、何にもできないと思っていた自分が、しっかりと「生活を営むための役割」の一部を果たせることに。
 今日、子どもたちの周りには「便利なもの」があふれています。今、私たち大人が意識して子どもたちにプレゼントすべきものは「大自然」と「不便な非日常」ではないかと気づかされた三日間でした。

※2000字という原稿料に修めるには少々、テーマが大きすぎたかな、と迷いながら、キーボードをたたきました。言いたいことの半分も言えず、消化不良に終ったエッセーです。しかし、確かに、今の子どもたちは我慢を知らない。それだけは、疑いのない事実です。そして、我慢などする必要がないのでしょうか。私自身の結論は、「幸せは我慢の大きさに比例する」ということです。そして、そう考える私は、もう、過去の人間なのでしょうか。

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2008年06月04日

優劣つけがたいはずなのに

●『沖縄タイムス』教育14面/1998年5月19日((火曜日・朝刊)
優劣つけがたいはずなのに
・・・成績優秀者にも拍手を・・・


 沖縄に生活の拠点を移し、私塾で仕事をするようになってから、早いもので二年と四カ月が過ぎた。
 こちらへ来て最初にびっくりしたのは、新聞紙面の構成要素が本土と大きく違うこと。スポーツ欄のページがにぎやかだ。それも、県内情報が元気である。
 「平良(棒高跳び女子)が県新」「石嶺五位に入賞・ボウリング九州選手権」…。
 「沖縄って身近な有名人がいっぱいいる県なんだ」。これが、私の当初の沖縄に対する印象であり、いろんな分野で活躍する「身近な有名人たち」を素直に褒めたたえる県民性が、私にはとても新鮮に映った。
 一方、残念な現実にも出くわした。
 まず、数としては少ないが毎回の定期テストの席次を公表しない中学校が出てきているという事。これは、いたずらに中学生の競争心をあおる席次は不要という考えからと聞いている。また、小学生の子どもを塾に通わせている母親がほかの母親から非難を浴びたという話もある。彼女らの主張は「学校だけでも大変なのに、これ以上勉強させてどうするの?」ということらしい。
 学校でその子どもが算数のテストで満点をとっても先生から「君は塾でも勉強しているから当たり前」と言われただけで、「よく頑張ったね」の一言もなかったそうだ。
 また、塾などで学校の定期テストや塾内のテストで好成績を残した生徒をいろんな広報紙に掲載すると、本部にこんな電話が入る。
 「プライバシーの侵害になるから、名前を出さないでください」
 スポーツや音楽活動の優秀者は堂々と名前もスコアも顔写真も出せるのに、勉強となると、成績が優秀であっても、「そんなに頑張ってどうするの」と言われ、当事者(本人とその家族)はオープンに喜ぶことができず、家族と塾の先生とでひっそりと祝福しなくてはならないこともある。
 中体連のテニスで県内優勝すること、高校野球で甲子園に勝ち進むこと、東大に合格すること、
数学オリンピックで入賞すること…。それもみな優劣つけがたい「偉業」であることにかわりはないはずである。
 数年前、首都圏で「お受験」という流行語を生んだ「学歴偏重に対するアンチテーゼ」がマスコミをにぎわした。優秀な成績を隠す人も、それをオープンに祝福しない周囲の人もその名残を受け継いでいるのかもしれない。分野は何であれ、一生懸命目標に向かって努力すること、一つひとつのハードルを跳び越えていくこと、そのこと自体が子どもたちの「生き抜く力」を培うことになるはずなのに。
 「学歴」を偏重する必要もないし、学業の成績がすべてであるとは言わない。しかし、センター試験の県内受験生の平均がようやく全国最下位を脱出したばかりの沖縄である。もうしばらくは、もっともっとオープンに「学業の成績優秀者」を盛り立てていくことも、必要ではないかと思う。

※このエッセーが、新聞に掲載されたあと、顔写真付きで載せてもらったということもあり、私学フェアなどのイベント会場で、学校関係者や、塾関係者、そして、一般のご父母の方からも、「読みましたよ。気持ちがすっきりしました。がんばってください。」などと声をかけていただいた。一方で、「勉強ばっかりできてもねえ。」という批判も遠回しに聞こえてきた。私は、もちろん、「勉強さえできれば、後は何をしてもいい」とは、考えていない。しかし、直接言われたわけではないので、議論の機会もないままに、第二弾の原稿にとりかかった。

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■「不便」という名の最高のプレゼント(1998年7月7日)
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■親の役割、先生の役割(1998年10月12日)
■アフター5に勉強?(1998年12月15日)
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■立ちはだかる「モラルの壁」(1999年4月20日)

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