2008年06月04日
「不便」という名の最高のプレゼント
●『沖縄タイムス』教育16面/1998年7月7日((火曜日・朝刊)
「不便」という最高のプレゼント
・・・自然の中で子どもが成長・・・
二年前の夏に「無人島合宿(二泊三日・慶良間諸島安室島)の密着取材をしたことがありますが、驚かされたのは、たった三日間での子どもたちの成長ぶりです。
無人島に着いたばかりの子どもたちは、自然と触れ合う喜びよりも、快適な日常から懸け離れた環境への「不安」ばかりが体中に広がります。
引率のスタッフたちの動きを遠くからぼう然と眺めている子。指示されてもなかなか動こうとしない子。スタッフの後をついて回るしかできない子。こんな子どもたちが大半でした。
すぐに日が暮れ、おなかがすいてきます。何人かは、自分たちが「乾いた木の小枝」をたくさん拾ってこない限り、夕飯を食べることは永久にできないということに気づき始めます。そして、少しだけ、子どもたちの動きが良くなってきます。しっかりした中学生は、自分たちよりも少しだけ幼い少年たちに「指示」し始めます。
「これは湿っているから、もっと乾いた小枝を拾って来て」「水道がないから、コップに残ったお水は捨てちゃ駄目。後で全部飲んでしまうんだよ」「タマネギの皮はこの穴に埋めて」
夜九時すぎ。カンテラとキャンプファイヤーの明かりに照らされて少し遅めの夕飯にやっとありつけます。お母さんのカレーライスには全然及ばないけれど、おいしい顔であっと言う間に二皿ぐらい平らげてしまいます。
二日目の朝になると、子どもたちの役割分担も整い、いよいよ活発になります。「枯れた小枝」は、一週間キャンプできそうなぐらいストックができています。
二度目の夕飯はバーベキュー。ジャガイモをむく手つきも驚くほど器用になっています。後片付けも、どんどん手際よくなってきます。素晴らしいことに、大切な「水」の節約も全員が徹底して守るようになるのです。
三日目。ついに無人島を後にする時には、子どもたち全員がおのおのの役割をきちんと果たすことはもちろん、忙しい人の手伝いを自発的にしたり、素晴らしいチームワークを発揮するまでになります。
私は「自然という不便さ」が子どもたちに与えるものの偉大さをあらためて認識せざるを得ませんでした。
一人ひとりが役割を果たさない限り「夕飯」は永久に口にすることができない。このことを体験できた子どもたちが成長しないはずはないのです。
子どもたちは気づいてくれました。普段、自分たちが「当たり前」と思っていた三度三度の食事や、空調の効いた快適な生活空間。それらは、すべて、自分以外のだれかがそこに運んできたからこそ、手にすることができることに。
また、何にもできないと思っていた自分が、しっかりと「生活を営むための役割」の一部を果たせることに。
今日、子どもたちの周りには「便利なもの」があふれています。今、私たち大人が意識して子どもたちにプレゼントすべきものは「大自然」と「不便な非日常」ではないかと気づかされた三日間でした。
※2000字という原稿料に修めるには少々、テーマが大きすぎたかな、と迷いながら、キーボードをたたきました。言いたいことの半分も言えず、消化不良に終ったエッセーです。しかし、確かに、今の子どもたちは我慢を知らない。それだけは、疑いのない事実です。そして、我慢などする必要がないのでしょうか。私自身の結論は、「幸せは我慢の大きさに比例する」ということです。そして、そう考える私は、もう、過去の人間なのでしょうか。
ほかの『教育えっせー』をご覧になる場合はこちら↓
■優劣つけがたいはずなのに(1998年5月19日)
■「不便」という名の最高のプレゼント(1998年7月7日)
■豊かな時代に生きる子どもたち(1998年9月1日)
■親の役割、先生の役割(1998年10月12日)
■アフター5に勉強?(1998年12月15日)
■一斉授業と個別指導(1999年3月2日)
■立ちはだかる「モラルの壁」(1999年4月20日)
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「不便」という最高のプレゼント
・・・自然の中で子どもが成長・・・
二年前の夏に「無人島合宿(二泊三日・慶良間諸島安室島)の密着取材をしたことがありますが、驚かされたのは、たった三日間での子どもたちの成長ぶりです。
無人島に着いたばかりの子どもたちは、自然と触れ合う喜びよりも、快適な日常から懸け離れた環境への「不安」ばかりが体中に広がります。
引率のスタッフたちの動きを遠くからぼう然と眺めている子。指示されてもなかなか動こうとしない子。スタッフの後をついて回るしかできない子。こんな子どもたちが大半でした。
すぐに日が暮れ、おなかがすいてきます。何人かは、自分たちが「乾いた木の小枝」をたくさん拾ってこない限り、夕飯を食べることは永久にできないということに気づき始めます。そして、少しだけ、子どもたちの動きが良くなってきます。しっかりした中学生は、自分たちよりも少しだけ幼い少年たちに「指示」し始めます。
「これは湿っているから、もっと乾いた小枝を拾って来て」「水道がないから、コップに残ったお水は捨てちゃ駄目。後で全部飲んでしまうんだよ」「タマネギの皮はこの穴に埋めて」
夜九時すぎ。カンテラとキャンプファイヤーの明かりに照らされて少し遅めの夕飯にやっとありつけます。お母さんのカレーライスには全然及ばないけれど、おいしい顔であっと言う間に二皿ぐらい平らげてしまいます。
二日目の朝になると、子どもたちの役割分担も整い、いよいよ活発になります。「枯れた小枝」は、一週間キャンプできそうなぐらいストックができています。
二度目の夕飯はバーベキュー。ジャガイモをむく手つきも驚くほど器用になっています。後片付けも、どんどん手際よくなってきます。素晴らしいことに、大切な「水」の節約も全員が徹底して守るようになるのです。
三日目。ついに無人島を後にする時には、子どもたち全員がおのおのの役割をきちんと果たすことはもちろん、忙しい人の手伝いを自発的にしたり、素晴らしいチームワークを発揮するまでになります。
私は「自然という不便さ」が子どもたちに与えるものの偉大さをあらためて認識せざるを得ませんでした。
一人ひとりが役割を果たさない限り「夕飯」は永久に口にすることができない。このことを体験できた子どもたちが成長しないはずはないのです。
子どもたちは気づいてくれました。普段、自分たちが「当たり前」と思っていた三度三度の食事や、空調の効いた快適な生活空間。それらは、すべて、自分以外のだれかがそこに運んできたからこそ、手にすることができることに。
また、何にもできないと思っていた自分が、しっかりと「生活を営むための役割」の一部を果たせることに。
今日、子どもたちの周りには「便利なもの」があふれています。今、私たち大人が意識して子どもたちにプレゼントすべきものは「大自然」と「不便な非日常」ではないかと気づかされた三日間でした。
※2000字という原稿料に修めるには少々、テーマが大きすぎたかな、と迷いながら、キーボードをたたきました。言いたいことの半分も言えず、消化不良に終ったエッセーです。しかし、確かに、今の子どもたちは我慢を知らない。それだけは、疑いのない事実です。そして、我慢などする必要がないのでしょうか。私自身の結論は、「幸せは我慢の大きさに比例する」ということです。そして、そう考える私は、もう、過去の人間なのでしょうか。
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■優劣つけがたいはずなのに(1998年5月19日)
■「不便」という名の最高のプレゼント(1998年7月7日)
■豊かな時代に生きる子どもたち(1998年9月1日)
■親の役割、先生の役割(1998年10月12日)
■アフター5に勉強?(1998年12月15日)
■一斉授業と個別指導(1999年3月2日)
■立ちはだかる「モラルの壁」(1999年4月20日)
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■優劣つけがたいはずなのに(1998年5月19日)
■「不便」という名の最高のプレゼント(1998年7月7日)
■豊かな時代に生きる子どもたち(1998年9月1日)
■親の役割、先生の役割(1998年10月12日)
■アフター5に勉強?(1998年12月15日)
■一斉授業と個別指導(1999年3月2日)
■立ちはだかる「モラルの壁」(1999年4月20日)
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Posted by 4時からの学校/チャンプ進学塾 at 11:18│Comments(0)
│教育



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