2008年06月04日

優劣つけがたいはずなのに

●『沖縄タイムス』教育14面/1998年5月19日((火曜日・朝刊)
優劣つけがたいはずなのに
・・・成績優秀者にも拍手を・・・


 沖縄に生活の拠点を移し、私塾で仕事をするようになってから、早いもので二年と四カ月が過ぎた。
 こちらへ来て最初にびっくりしたのは、新聞紙面の構成要素が本土と大きく違うこと。スポーツ欄のページがにぎやかだ。それも、県内情報が元気である。
 「平良(棒高跳び女子)が県新」「石嶺五位に入賞・ボウリング九州選手権」…。
 「沖縄って身近な有名人がいっぱいいる県なんだ」。これが、私の当初の沖縄に対する印象であり、いろんな分野で活躍する「身近な有名人たち」を素直に褒めたたえる県民性が、私にはとても新鮮に映った。
 一方、残念な現実にも出くわした。
 まず、数としては少ないが毎回の定期テストの席次を公表しない中学校が出てきているという事。これは、いたずらに中学生の競争心をあおる席次は不要という考えからと聞いている。また、小学生の子どもを塾に通わせている母親がほかの母親から非難を浴びたという話もある。彼女らの主張は「学校だけでも大変なのに、これ以上勉強させてどうするの?」ということらしい。
 学校でその子どもが算数のテストで満点をとっても先生から「君は塾でも勉強しているから当たり前」と言われただけで、「よく頑張ったね」の一言もなかったそうだ。
 また、塾などで学校の定期テストや塾内のテストで好成績を残した生徒をいろんな広報紙に掲載すると、本部にこんな電話が入る。
 「プライバシーの侵害になるから、名前を出さないでください」
 スポーツや音楽活動の優秀者は堂々と名前もスコアも顔写真も出せるのに、勉強となると、成績が優秀であっても、「そんなに頑張ってどうするの」と言われ、当事者(本人とその家族)はオープンに喜ぶことができず、家族と塾の先生とでひっそりと祝福しなくてはならないこともある。
 中体連のテニスで県内優勝すること、高校野球で甲子園に勝ち進むこと、東大に合格すること、
数学オリンピックで入賞すること…。それもみな優劣つけがたい「偉業」であることにかわりはないはずである。
 数年前、首都圏で「お受験」という流行語を生んだ「学歴偏重に対するアンチテーゼ」がマスコミをにぎわした。優秀な成績を隠す人も、それをオープンに祝福しない周囲の人もその名残を受け継いでいるのかもしれない。分野は何であれ、一生懸命目標に向かって努力すること、一つひとつのハードルを跳び越えていくこと、そのこと自体が子どもたちの「生き抜く力」を培うことになるはずなのに。
 「学歴」を偏重する必要もないし、学業の成績がすべてであるとは言わない。しかし、センター試験の県内受験生の平均がようやく全国最下位を脱出したばかりの沖縄である。もうしばらくは、もっともっとオープンに「学業の成績優秀者」を盛り立てていくことも、必要ではないかと思う。

※このエッセーが、新聞に掲載されたあと、顔写真付きで載せてもらったということもあり、私学フェアなどのイベント会場で、学校関係者や、塾関係者、そして、一般のご父母の方からも、「読みましたよ。気持ちがすっきりしました。がんばってください。」などと声をかけていただいた。一方で、「勉強ばっかりできてもねえ。」という批判も遠回しに聞こえてきた。私は、もちろん、「勉強さえできれば、後は何をしてもいい」とは、考えていない。しかし、直接言われたわけではないので、議論の機会もないままに、第二弾の原稿にとりかかった。

ほかの『教育えっせー』をご覧になる場合はこちら↓
■優劣つけがたいはずなのに(1998年5月19日)

■「不便」という名の最高のプレゼント(1998年7月7日)
■豊かな時代に生きる子どもたち(1998年9月1日)
■親の役割、先生の役割(1998年10月12日)
■アフター5に勉強?(1998年12月15日)
■一斉授業と個別指導(1999年3月2日)
■立ちはだかる「モラルの壁」(1999年4月20日)

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