2008年06月04日

一斉授業と個別指導

●『沖縄タイムス』教育16面/1999年3月2日(火曜日・朝刊)

一斉授業と個別指導
・・・目的、適性で使い分けを・・・


 今、全国で「個別指導」がブームだ。一斉授業で「がんがん」入試実績を上げている進学塾も、去年の春ぐらいから続々と個別指導部門を新設し始めた。
 しかし、一斉授業で「がんがん」とやってきた現場の指導陣たちは、異口同音に「個別でマイペースでやってたって成績は伸びないよ」と主張する。
 二年前に、お世話になっている塾の代表者から「奥野はん、個別指導をやりたいんだが、どう思うか」と聞かれた時「個別ですか。どうですかね。私は、どうもあのブース(仕切り)がブロイラーを思い起こさせるので、あまり好きではありませんね。やっぱり、子どもたちには、元気で活気のある教室で力量のある先生に引っ張られながら、生徒同士の相互刺激の中で成績を伸ばしていってほしいと思うんです。その方が健全だと思います」と答えた。
 その後、代表に勧められて、京都のG塾を見学することになったが、それ以前に訪問したいくつかの個別指導の塾が持つ「暗い」「活気が無い」「講師の引っ張りが弱い」という共通のイメージをくつがえされた。
 授業中だが、二十人の講師と四十人の生徒の声がわいわい、がやがやしている。活気があるのだ。しかも、ブースの計算されたほどよい高さが「個別空間をくずさず、閉鎖感もない」という学習環境を形成していた。
 各ブースでは、質問する生徒、一生懸命問題を解く生徒、解説する講師、生徒の解答をチェックする講師などさまざま…まさに、個別指導空間だ。
 しかし、一つ疑問がわいたので、私は代表者に質問した。
 「活気があって、とても好感が持てるのですが、あれだけ先生が大きな声で講義していたら、隣のブースの邪魔になりませんか」
 代表者は、待ってましたとばかり答えてくれた。「よく、見てください。生徒は自分の先生の声しか聞いていませんよ。そのほかの先生の声はBGMみたいなもので、妨害にはならないのです。しかし、もし、この大きな声が雑談になると別です。人の雑談は、どういうわけだか気になったり、気にさわったりするのです」
 昨年の四月から個別指導の教室という「臨床」を持ち、本当に私自身がさまざまなことを勉強させていただいた。そして、そのおかげで個別指導塾の存在意義も確信することができた。
 個別では、一斉授業ではついていけない生徒さんだけでなく、「能力の可能性の芽を育てきれずにいた優秀生」も、目を見張る成長を遂げてくれる。
 今、ご父母の方から「個別指導がいいか、一斉授業がいいか」という相談を持ち掛けられると、迷いなくこう答えている。
 「どちらがいいと一言で言えるものではありません。それは入院中の患者さんに似ています。同じ患者さんでも、集中治療室で完全看護をしなくてはならないときもあれば、大部屋で治療して治るときもあります。結局は、各々の生徒さんの「学習目標、適性、時期によって使い分ければいいのです。大切なことはその使い分けを間違わないことです」。

※当時、ご父母から「普通の塾がいいか、個別指導がいいか」という問合せが増えてきていたので、どこかで、自分の意見をまとめる機会がほしかったのですが、エッセーの紙面を拝借してしまいました。タイムス社会部の崎村女史から「あのぉ、これは少し広告色が濃厚なので書き直してもらえませんか」という電話がかかってこないかしらんと、いつものようにひやひやしていたのですが、「ひとつの社会現象だから、いいんじゃないですか」とすんなりパスしました。

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■「不便」という名の最高のプレゼント(1998年7月7日)
■豊かな時代に生きる子どもたち(1998年9月1日)
■親の役割、先生の役割(1998年10月12日)
■アフター5に勉強?(1998年12月15日)
■一斉授業と個別指導(1999年3月2日)
■立ちはだかる「モラルの壁」(1999年4月20日)

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Posted by チャンプ進学塾 at 11:51│Comments(0)教育
 
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