2008年06月04日
豊かな時代に生きる子どもたち
●『沖縄タイムス』教育20面/1998年9月1(火曜日・朝刊)
豊かな時代に生きる子どもたち
・・・どう育てる感謝の心・・・
不景気といわれている。金利、為替、失業率などの経済指標を指でなぞると確かに不景気らしい。しかし、街を歩いてみると、中学生はポケベルで交信しあい、高校生は携帯電話で友達と待ち合わせ場所の相談をしているし、大学生はユニットバス付きの1DKからキャンパスへ向かう。
今の子どもたちは、私たちの子ども時代とは比較にならないくらい豊かな時代に生きていることには間違いないようだ。そして、残念なことに、彼らは「欲しいものが次から次に手に入って幸せだ」と思ってくれてはいない。なぜなら、彼らは「我慢しなければならなかった時代」を体験していないし、また彼らの比較の対象は「物がなかった時代の生活水準」でなく「彼らの友達の生活水準」だからである。
また、彼らは欲しい物を親に買わせるコツをよく知っている。例えば、親に「クラスの人が皆持っているから、一緒に遊べない。ポケベル持たせて」とせがむ。よくよく調べてみると、ポケベルを持っているのはクラスの中でもまだ少数派だったりするのだ。
しかし、多くの親御さんは、そこまで実態調査をせずに「うちの子が仲間外れになってはかわいそうだ」ということで、ポケベルの契約をしてしまう。結果としてクラスの大半がポケベルを持つことになり、子どもたちの「うそ」を実体が追い駆けることになってしまうのである。
井上昌俊氏も、二十万部のベストセラーになった書『人は 人によりて 人になる』(プレジデント社)の中で「現代の親は、物質的な苦労はあまりしないで済むようになったが、その分、コミュニケーションの方法や手段は複雑で高次元なものを要求される時代に生きているのだと思う」と述べている。
たしかに、子どもたちの心の中に感謝の気持ちをはぐくんでいくには困難な時代ではあるが、それでもいくつかの実践的な方法があるように思う。
一つは、前回(七月七日掲載)でも述べさせていただいたが、意図的に、今子どもたちに与えられている「豊かさ」を奪い去った非日常体験をさせることでいささかの荒治療をする方法。
二つ目は、今当たり前に手にしているものが、「何を代償にして」目の前に存在しているのかということを、その都度きちんと説明すること。
三つ目は、新たなものを与えるときには必ず、何らかの目標を達成することと引き換えにすることである。
人間は、待ち望んで待ち望んで、やっと手に入ったものは大切にするものである。それが、自分自身の大きな努力と周りの人々の多大なる協力との引き換えに苦労して手に入れたものであれば、なおさらである。そしてこの時に初めて、「ありがたい」という感謝の気持ちが生まれるのだ。
少し、大げさな言い方ではあるが、この「ありがたい」という気持ちこそが、「自分は一人で生きているのではなく、周りの人々やご先祖さま、そして大自然の恵みのおかげにより生かされているのだ」という概念への出発点ではないかと思う。
※前回のエッセーで、「我慢」について、書ききれなかったので、言わば「我慢・続編」です。『新たなものを与えるときには必ず、何らかの目標を 達成することと引き換えにすることである。』 という下りの後に、「そして、時には、目標を達成したら、いつもご褒美をもらえるわけではない。」という『あきらめの体験』の重要性にも、触れたかったのですが、私の未熟さから、うまく挿入できませんでした。
ほかの『教育えっせー』をご覧になる場合はこちら↓
■優劣つけがたいはずなのに(1998年5月19日)
■「不便」という名の最高のプレゼント(1998年7月7日)
■豊かな時代に生きる子どもたち(1998年9月1日)
■親の役割、先生の役割(1998年10月12日)
■アフター5に勉強?(1998年12月15日)
■一斉授業と個別指導(1999年3月2日)
■立ちはだかる「モラルの壁」(1999年4月20日)
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豊かな時代に生きる子どもたち
・・・どう育てる感謝の心・・・
不景気といわれている。金利、為替、失業率などの経済指標を指でなぞると確かに不景気らしい。しかし、街を歩いてみると、中学生はポケベルで交信しあい、高校生は携帯電話で友達と待ち合わせ場所の相談をしているし、大学生はユニットバス付きの1DKからキャンパスへ向かう。
今の子どもたちは、私たちの子ども時代とは比較にならないくらい豊かな時代に生きていることには間違いないようだ。そして、残念なことに、彼らは「欲しいものが次から次に手に入って幸せだ」と思ってくれてはいない。なぜなら、彼らは「我慢しなければならなかった時代」を体験していないし、また彼らの比較の対象は「物がなかった時代の生活水準」でなく「彼らの友達の生活水準」だからである。
また、彼らは欲しい物を親に買わせるコツをよく知っている。例えば、親に「クラスの人が皆持っているから、一緒に遊べない。ポケベル持たせて」とせがむ。よくよく調べてみると、ポケベルを持っているのはクラスの中でもまだ少数派だったりするのだ。
しかし、多くの親御さんは、そこまで実態調査をせずに「うちの子が仲間外れになってはかわいそうだ」ということで、ポケベルの契約をしてしまう。結果としてクラスの大半がポケベルを持つことになり、子どもたちの「うそ」を実体が追い駆けることになってしまうのである。
井上昌俊氏も、二十万部のベストセラーになった書『人は 人によりて 人になる』(プレジデント社)の中で「現代の親は、物質的な苦労はあまりしないで済むようになったが、その分、コミュニケーションの方法や手段は複雑で高次元なものを要求される時代に生きているのだと思う」と述べている。
たしかに、子どもたちの心の中に感謝の気持ちをはぐくんでいくには困難な時代ではあるが、それでもいくつかの実践的な方法があるように思う。
一つは、前回(七月七日掲載)でも述べさせていただいたが、意図的に、今子どもたちに与えられている「豊かさ」を奪い去った非日常体験をさせることでいささかの荒治療をする方法。
二つ目は、今当たり前に手にしているものが、「何を代償にして」目の前に存在しているのかということを、その都度きちんと説明すること。
三つ目は、新たなものを与えるときには必ず、何らかの目標を達成することと引き換えにすることである。
人間は、待ち望んで待ち望んで、やっと手に入ったものは大切にするものである。それが、自分自身の大きな努力と周りの人々の多大なる協力との引き換えに苦労して手に入れたものであれば、なおさらである。そしてこの時に初めて、「ありがたい」という感謝の気持ちが生まれるのだ。
少し、大げさな言い方ではあるが、この「ありがたい」という気持ちこそが、「自分は一人で生きているのではなく、周りの人々やご先祖さま、そして大自然の恵みのおかげにより生かされているのだ」という概念への出発点ではないかと思う。
※前回のエッセーで、「我慢」について、書ききれなかったので、言わば「我慢・続編」です。『新たなものを与えるときには必ず、何らかの目標を 達成することと引き換えにすることである。』 という下りの後に、「そして、時には、目標を達成したら、いつもご褒美をもらえるわけではない。」という『あきらめの体験』の重要性にも、触れたかったのですが、私の未熟さから、うまく挿入できませんでした。
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■優劣つけがたいはずなのに(1998年5月19日)
■「不便」という名の最高のプレゼント(1998年7月7日)
■豊かな時代に生きる子どもたち(1998年9月1日)
■親の役割、先生の役割(1998年10月12日)
■アフター5に勉強?(1998年12月15日)
■一斉授業と個別指導(1999年3月2日)
■立ちはだかる「モラルの壁」(1999年4月20日)
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■優劣つけがたいはずなのに(1998年5月19日)
■「不便」という名の最高のプレゼント(1998年7月7日)
■豊かな時代に生きる子どもたち(1998年9月1日)
■親の役割、先生の役割(1998年10月12日)
■アフター5に勉強?(1998年12月15日)
■一斉授業と個別指導(1999年3月2日)
■立ちはだかる「モラルの壁」(1999年4月20日)
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Posted by 4時からの学校/チャンプ進学塾 at 11:21│Comments(0)
│教育



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